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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)2526号 判決 1987年1月27日

原告

豊栄商事株式会社

右代表者代表取締役

青木守也

右訴訟代理人弁護士

石塚久

加藤博史

右訴訟復代理人弁護士

北河隆之

被告

松本満寿雄

右訴訟代理人弁護士

関口宗男

被告

高橋サワ

被告

高橋弘長

被告

高橋修司

被告

高橋久夫

被告

吉橋正子

被告

長沢美千代

右被告ら六名訴訟代理人弁護士

吉田衆司

主文

一  原告と被告松本満寿雄との間において、原告が別紙第一物件目録記載の土地につき所有権を有することを確認する。

二  原告と被告高橋サワ、同高橋弘長、同高橋修司、同高橋久夫、同吉橋正子及び同長沢美千代との間において、原告が別紙第二物件目録記載の土地につき所有権を有することを確認する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、別紙第一物件目録記載の土地全体(別紙第二図面の一、二の赤線で囲まれた部分。以下第一土地という。)及び同第二物件目録記載の土地全体(別紙第四図面の一ないし三の緑線で囲まれた部分。以下第二土地という。)を所有している。

すなわち、原告は、昭和四七年六月二六日第一土地を前所有者湯浅節夫から代金一〇七〇万円で買受け、昭和四七年六月二九日第二土地を前所有者鉄工産業株式会社から代金二八〇〇万円で買受けた。そして、原告は、各土地を買受けた際、現地で土地の位置を前所有者と立会つて確認した上、隣地との境界線上にコンクリートブロックをめぐらし、かつその内部に「株式会社豊栄」(原告の当時の商号である。)と表示した立看板を設置して明認方法を施した。また、第一土地(原告の主張では地番は八二七二番一、登記番号は一〇四八である。登記番号については後述する。)については昭和四七年六月二七日に、第二土地(原告の主張では地番は七五九一番二、登記番号は一〇四七である。)については同年七月三日に、それぞれ所有権移転登記をした。

2  ところが、被告松本満寿雄(以下、被告松本という。)は、第一物件目録記載の土地部分(以下、第一係争部分という。)は、自己の所有に属するものであると主張している。

同被告は、大賀郷七五九一番一(登記番号六七〇八)の土地の所有者として登記されている者であり、右七五九一番一の土地が第一係争部分を含む別紙第三図面の一、二に表示する①ないし④の土地に該当すると主張しているものである。

3  被告高橋サワ、同高橋弘長、同高橋修司、同高橋久夫、同吉橋正子及び同長沢美千代(以下、この六人の被告を被告高橋らという。)は、別紙第二物件目録記載の土地部分(以下、第二係争部分という。)は同被告らの所有に属するものであると主張している。

被告高橋らは亡高橋茂(昭和四九年六月一六日死亡)の相続人であるが、右高橋茂は大賀郷八二七二番二(登記番号六五九八)の土地の所有者として登記されている者であり、被告高橋らは右八二七二番の二の土地が第二係争部分に該当すると主張しているものである。

4  八丈島については従来土地台帳法の適用がなく、地図(公図)が存在しなかつたため、登記簿と地図により土地の位置を特定することができなかつた。また、登記簿にも元来地番が付されておらず、登記番号しか存しなかつた。

しかし、昭和五三年に東京都がこの地域について国土調査法に基づいて地籍調査事業を実施し、その際地権者に対し一定期間内に自己所有地と主張する土地を申告するように求め、その申告がその後に作成された地籍図に申告のまま書き込まれ(したがつて、同じ土地について二重、三重に申告されたものが多く出現したのであつて、本件もその一例である。)、地番(仮地番)が付され、そのまま登記簿の地番(仮地番)となつた。

原告も第一、第二土地は自己所有に属する旨申告したが、第一土地については被告松本も自己所有地であると申告し、第二土地のうち第二係争部分については被告高橋らが自己所有地であると申告したものである。

なお、その後昭和六一年一月三〇日付で国土調査の成果(東京都八丈町地籍図及び地籍簿)の認証が国土庁長官によつてされ、次いで同年二月一四日その旨の公告がされた。別紙第一図面はその地籍図の一部である。

5  第一、第二土地が原告の所有に属することは、以下の事実から明らかである。

(一) 第一、第二土地を含む周辺一帯は、昔から所有者菊池きくみの名を冠して「きくみ山」と呼称されていたが、それが、昭和四〇年に相続され、相続人の一人高橋ゆり子の名を取つて「ゆり子山」と呼ばれていた土地である。高橋ゆり子も第一、第二土地がもと自己所有地であつたことを認めている。

そして、大賀郷八二七二番一(原告は、この土地が第一土地に該当すると主張するものである。)及び七五九一番二(原告は、この土地が第二土地に該当すると主張するものである。)の土地の登記簿によつて所有権移転登記の推移をみると、次のとおりであつて、原告の主張が裏付けられる。

すなわち、八二七二番一の土地については、菊池きくみのため明治三五年四月八日に所有権登記がされた後、昭和四二年三月一日に相続により高橋ゆり子及び榎田周子へ(各持分二分の一)、昭和四五年一月一二日に売買により栄福商事株式会社へ、昭和四六年一〇月二八日に売買により湯浅節夫へ、昭和四七年六月二七日に売買により原告へ、それぞれ移転登記がされている。

七五九一番二の土地については、栄福商事株式会社までは八二七二番一の土地と同じであり、その後昭和四六年六月二五日に売買により菊池重人へ、昭和四七年七月三日に売買により鉄工産業株式会社へ、昭和四七年七月三日に売買により原告へ、それぞれ移転登記がされている。

(二) これに対し、被告松本が自己所有地と主張する七五九一番一の土地の所有権移転登記は、明治三九年八月一四日西村豊松のため所有権登記がされた後、明治四三年一二月二六日に売買により奥山冨士松へ、昭和一四年三月一三日に相続により奥山正直へ、昭和三九年一一月二八日に売買により菊池愛邦へ、昭和三九年一一月二八日に売買により明治不動産株式会社へ、昭和四〇年三月二〇日に売買により被告松本へ、それぞれ所有権移転登記がされている。

また、被告高橋らが自己所有地であると主張する八二七二番二の土地については、大正三年一〇月二三日に佐々木小十郎のために所有権登記がされ、その後、大正三年一一月一九日に売買により佐々木定一へ、大正四年三月一日に売買により佐々木小十郎へ、大正一五年二月二四日に売買により佐々木智惠二へ、昭和三九年一二月二八日に売買により菊池愛邦へ、昭和四〇年一月二五日に売買により明治不動産株式会社へ、昭和四〇年一月二五日に売買により高橋茂へ、それぞれ所有権移転登記がされている。

しかし、右の登記簿上に所有権者とされている者の唯一人として第一、第二土地について権利を主張した者はいないし、これらの者は第一、第二土地には全く無関係である。

被告松本及び亡高橋茂は、いずれも明治不動産株式会社からそれぞれが主張する土地を買受けているのであるが、同会社は第一、第二土地を含む付近一帯の土地を自己所有地と偽つて昭和四〇年頃に大々的に分譲を行い、これにだまされた多くの被害者がおり、有名な悪質不動産業者である。明治不動産株式会社やこれと組んだ菊池愛邦は、他の場所を表わす登記簿を情を知らない買主に示して欺き(違法な丈量増しをしてこれを分割して権利証を作るという手口である。)、実際には存在しない土地を売りつけて代金を詐取したものであつて、多数の被害者が出ており、多数の民事、刑事事件が発生している。被告松本や亡高橋茂もその被害者の一人である。

被告松本、亡高橋茂が仮に現地で明治不動産株式会社からそれぞれ第一土地、第二土地の一部を示されて、土地の特定をした上で買受けたとしても、もともとの無権利者から買受けたものであるから、その所有権を取得する理由はない。

(三) 被告らが自己所有地と主張する七五九一番一の土地及び八二七二番二の土地は、それぞれ元の土地から数筆に分筆されて残つた土地であるが、分筆された他の土地は当然右各土地と隣接するか極く接近した場所になければならない。ところが、これらの分筆された各土地は、いずれも第一、第二土地から全く隔つた場所に位置しており、被告ら主張の右各土地が少なくとも第一、第二土地の中にはなく、別の土地を表していることは、このことからも歴然としている。

6  よつて、原告は、被告松本との間においては第一係争部分について、被告高橋らとの間においては第二係争部分について、これら部分が原告の所有に属することの確認を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  被告松本

(一) 請求原因1項は否認する。

(二) 同2項は認める。

(三) 同4項のうち、被告松本が昭和五三年に八丈町役場からの連絡により、所有権者として七五九一番一の土地を申告したことは認め、その余は知らない。

(四) 同5項のうち、被告松本が自己所有地と主張する七五九一番一の土地の所有権移転登記の推移が原告主張のとおりであること、被告松本が明治不動産株式会社から土地を買受けたものであること、被告松本は明治不動産株式会社から第一土地内の土地を示され、土地の特定をした上で買受けたことは認め、その余は不知であるか又は否認する。

被告松本は、昭和三九年一二月三日、七五九一番一の土地を明治不動産株式会社から代金二〇〇万二〇〇〇円で買受けた。その際、被告松本は、八丈島の現地へ赴き、売主である明治不動産株式会社が分譲地として開発したグリーンハイツ分譲地の縮小図の第一係争部分を含む別紙第三図面の一、二の①ないし④の部分に該当する場所を示され、右土地は登記番号六七〇八号の登記簿に記載された土地で、独立した土地であることを確認した。そして被告松本は昭和四〇年三月二〇日八丈島の現地へ赴き、第一係争部分を含む土地の引渡しを受けて、被告松本の所有する土地と分かる立札を立て、明認方法を施した。

2  被告高橋ら

(一) 請求原因1項は知らない。

(二) 同3項は認める。

(三) 同4項は知らない。

(四) 同5項のうち、八二七二番二の土地についての所有権移転登記の推移が原告主張のとおりであること、亡高橋茂が明治不動産株式会社から八二七二番二の土地を買受けたことは認めるが、被告高橋らが第二係争部分の所有権を取得していないとの主張は争い、その余は知らない。

被告高橋らの被相続人高橋茂は、昭和三九年一一月一九日、八二七二番二の土地を明治不動産株式会社から代金一二六万九〇〇〇円で買受けた。その際高橋茂は、売主である明治不動産株式会社が分譲地として開発したグリーンハイツ分譲地縮小図の第二係争部分に該当する場所を示され、右部分が登記番号六五九八号の登記簿に記載された土地で、独立した土地であることを確認した。昭和四〇年一月末には第二係争部分の引渡しを受け、昭和四一年五月被告高橋久夫が現地へ行き、第二係争部分の南西角に古びた観光バス一台を買つて据え置き、更に高橋所有地であることを示す立札を立て、周囲に鉄条網を張つて明認方法を施した。

そして、八二七二番二の土地が分筆される前の土地である登記番号三三七〇号の土地の最終所有者である明石正水は、昭和五三年の八丈町役場の地籍調査の立会いに際し、自分の所有地は第二係争部分の北隣りであると主張している。また、正式の公図に確定されるべくその準備のための図面である地籍図及び東京法務局八丈島出張所備付けの仮公図も明治不動産株式会社が分譲地として開発した地形図に合わせて作成されている。これらの事実は被告高橋らの所有する八二七二番二の土地が第二係争部分に該当することを裏付けるものである。

三  抗弁

1  被告松本

(一) 仮に被告松本が第一係争部分を含む土地の所有権を売買によつて取得しているとの主張が認められないとしても、被告松本は右土地を時効取得しており、本訴において右時効を援用する。

(二) すなわち、前述したとおり、被告松本は昭和四〇年三月二〇日に第一係争部分を含む土地の引渡しを受けて明認方法を施したが、その後も、昭和四七年一月一七日に八丈島の現地に赴き右土地について八丈町役場から地籍図をもらい受け確認しており、その際、第一土地の地均しがしてあつたので、昭和四七年一一月二一日に境界毀損罪の告訴手続をとつた。その時にも被告松本は現地に行つて確認している。

昭和四七年一月一七日には七五九一番一の土地について八丈町役場から固定資産税台帳登録証明書の交付を受け、昭和五三年八月二五日八丈町役場から「昭和五三年度国土調査法に基づく地籍調査の境界伐採及び標示杭の設置について」と題する文書が送付され、現地での立会いを求められたので、被告松本は現地へ行き、第一係争部分を含む土地の所有者として立会いをした。

(三) 右のとおり、被告松本は第一係争部分を含む土地を昭和四〇年三月二〇日から占有しており、占有の始め善意、無過失であつたから、一〇年を経過した昭和五〇年三月二〇日に右土地の所有権を時効取得した。

2  被告高橋ら

(一) 仮に被告高橋らが第二係争部分の所有権を売買によつて取得したとの主張が認められないとしても、被告高橋らは右土地を時効取得したものであり、本訴において右時効を援用する。

(二) 既に述べたとおり、亡高橋茂は昭和四〇年一月末第二係争部分の引渡しを受け、明認方法を施した。

その後、昭和四五年二月、被告高橋久夫の妻が八丈島の実家で出産したので、被告高橋サワ及び同高橋久夫は現地で右土地を再度確認している。昭和四六年頃、被告高橋久夫が現地で右土地を確認したときも、従前どおり古びた観光バスは据え置かれたままになつており、一面の篠山になつていた。

昭和四七年一月一七日八二七二番二の土地につき八丈町役場から固定資産税課税台帳登録証明書の交付を受け、昭和五三年八月二五日八丈町役場から「昭和五三年度国土調査法に基づく地籍調査の境界伐採及び標示杭の設置について」と題する文書が交付され、現地での立会いを求められたので、被告高橋久夫が現地へ行き第二係争部分の所有者として立会いをした。

(三) 亡高橋茂及び被告高橋らは、右のとおり昭和四〇年一月末から第二係争部分を占有しており、その占有の始めに善意、無過失であつたから、一〇年を経過した昭和五〇年一月末に右土地の所有権を時効取得した。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1項について

(一) 抗弁1項の(一)は争う。

(二) 同(二)のうち、被告松本が昭和四〇年三月二〇日八丈島へ赴いたこと、昭和四七年一月一七日に八丈島の現地へ赴いたこと、昭和四七年一一月に告訴手続をとつたこと、固定資産税課税台帳登録証明書の交付を受けたこと及び昭和五三年の地籍調査に関する主張事実は知らない。昭和四七年一月に第一土地の地均しがしてあつたことは認める。その余は否認する。

(三) 同(三)のうち、善意であるという点は知らないが、無過失であるという点は否認し、その余は争う。

(四) 取得時効を援用するためには、目的土地が特定された上、その土地に関して事実的支配としての占有が存する場合でなければならない。しかし、被告松本には取得時効の要件である土地の所持(占有)がない。

すなわち、被告松本は、明治不動産株式会社から買受けるにあたつて現地を見分したという際、社員から単に「その辺の位置だといつて写真を撮つてもらつたにすぎず、昭和四〇年三月土地の引渡しを受けたという際にも、写真を撮り、グリーンハイツ分譲地縮少図を示され、木製の杭が打つてあるのを見分しているだけであつて、その後は昭和四七年一月まで現地を訪れていない。この間、土地に囲いを設置したり、明認方法を施したことも窺われないし、付近で監視をしたり、定期的な見回り、下刈、雑木の下払いを行うなど、管理行為とみなしうる何らの行為もしていない。

このように、被告松本は買受けた土地の範囲を特定する作業すらしていないのも同然である上、排他的な支配の事実も全くない以上、所持すなわち排他的支配としての占有を開始したものということはできない。

(五) 仮に被告松本が昭和四〇年三月二〇日、第一土地中の特定された部分の占有を開始したとしても、占有の始めにおいて自己の所有に帰したと信ずるについて過失がある。

すなわち、昭和四〇年三月当時、八二七二番一の土地の登記簿上の所有名義人は菊池きくみであり、売主明治不動産株式会社ではなかつたにもかかわらず、被告松本はそのくい違いにつき登記名義人に問い合わせて確かめる等の調査をしていない。また、八丈島は土地台帳法の適用がなく、地図(公図)がまだ存在しないのであるから、土地を買受けるにあたつてはことのほか慎重であつて然るべきであり、被告松本も買受けに際しては明治不動産株式会社に対し、当該土地を表示する登記簿謄本を求めてその所有権の移転経緯を調べた上、元所有者、町役場、当局、近隣の住民等にあたつて同土地が以前は登記簿に表示されている者の所有であつた場所かどうかを確かめるなど、十全の調査をすべきであつたにもかかわらず、被告松本は登記簿の調査すらしていない。同被告に過失がなかつたことは、とうてい、いうことができない。

(六) 仮に、被告松本の占有の始めに過失がなかつたとしても、時効の進行は自然中断している。

すなわち、昭和四六年六、七月頃、湯浅建設(代表者湯浅節夫)は第一土地を含めた付近一帯の土地を買受けて、この土地の造成に着手し、それまで標識杭があつたとしてもそれらを抜去し、岩石を除去し、土盛りをし、地均しをするなどして根本的に土地の区画、形状の変更をした。これにより被告松本の占有は完全に奪われ、時効の進行は自然中断したものであつて、かつ、同被告は占有を侵奪されたときから一年内に占有回収の訴えを提起しなかつたから、右湯浅建設の土地造成により被告松本の占有権は消滅したものである。

また、その後において同被告はどんなに早くとも昭和五三年九月頃までの間に新たな占有を開始していないから、本訴提起までの間に取得時効が完成するいわれはない。

2  抗弁2項について

(一) 抗弁2項の(一)は争う。

(二) 同(二)のうち、昭和四六年に第二係争部分は一面の篠山になつていたことは認め、その余は知らない。

(三) 同(三)のうち、占有の始めに善意であつた点は知らないが、無過失であることは否認し、その余は争う。

(四) 被告高橋らの占有は少なくとも昭和四六年以降は存在しない。

すなわち、第二土地について、昭和四六年、原告の実質上の前所有者である菊池英夫(七五九一番二の土地の登記簿の甲区四番には菊池重人と表示されているが、同人は英夫の使用人で名義を貸したにすぎない。また、次の登記名義人である甲区七番の鉄工産業株式会社は実際には仲介人であり、手数料ないし転売利益稼ぎのために名前を出したにすぎない。なお、菊池英夫は当時丸英建設という商号で現地で土建業を営んでいた。)がブルドーザーを入れて土盛りをし、ダンプカー四、五〇〇台分の赤砂利を入れて整地した。

その際、被告高橋久夫が「ここは自分らの土地だ」と主張して争いが生じた。同被告は七五九一番二の土地の前所有者高橋ゆり子や当の菊池英夫を訪れ、自己の権利を主張したようであるが、容れられず、また高橋茂の所有であることを他に証明する手段もなかつたため、公的救済を求めることもしなかつた。

したがつて、仮にそれまで亡高橋茂が何らかの意味で第二係争部分を占有していたとしても、この時をもつて同人の占有は排除され、消滅した。

なお、原告は、実質上の前主菊池英夫から第二土地を買受けた際、亡高橋茂の占有を示す何らの痕跡も立札等の明認方法も存しなかつたことを現認している。

被告高橋らの取得時効の主張は、その前提となる占有の継続がないから、失当である。

第三  証拠<省略>

理由

一まず、原告及び被告らが買受けた土地は、次のとおりである。

1  <証拠>によれば、以下の事実が認められる。

原告は、昭和四七年六月二六日、湯浅節夫から、契約書では「東京都八丈島八丈町大字大賀郷字安蔵山所在、地目山林約二六四四平方メートル(公簿面)」と表示された土地を代金一〇七〇万円で買受けた。そして、同年六月二七日、登記簿上「東京都八丈島八丈町大賀郷八二七二番一(登記番号一〇四八)、山林二六四四平方メートル」と表示された土地(但し、右の地番は後に付されたものである。)について所有権移転登記をした。原告は、第一土地を示す実測図を交付された上で、売主から、右の売買の対象となつた土地は第一土地の部分に該当するとの指示、説明を受けた。

また、原告は、昭和四七年六月二九日、鉄工産業株式会社から、契約書では「東京都八丈島八丈町大字大賀郷字安蔵山、仮地番四〇四七番四所在、山林約六六八七平方メートル(公簿面積)」と表示された土地を代金二八〇〇万円で買受けた。そして、同年七月三日、登記簿上「東京都八丈島八丈町大賀郷七五九一番二(登記番号一〇四七)」と表示された土地(但し、右の地番は後に付されたものである。)について所有権移転登記をした。原告は、第二土地を示す実測図を交付された上で、売主から、右の売買の対象となつた土地は第二土地の部分に該当する旨の指示、説明を受けた。

以上の事実が認められる。

なお、<証拠>によれば、土地台帳法は伊豆七島の土地に関してはこれを適用しないとされていたために、八丈島には土地台帳がなく、また土地台帳附属地図(いわゆる公図)もなく、土地に地番がなかつたこと、したがつて土地登記簿の表題部にも地番の記載はなく、登記番号の記載だけがされていたこと、昭和四四年から八丈島において国土調査法に基づく地籍調査が開始され、その過程で土地の配置見取図である素図を作成し、これに表示した各土地に順次仮地番を付したこと、地籍調査が終了した段階で仮地番を抹消して新たに地番を付したこと、大賀郷地区のうち第一、第二土地を含む地域については昭和五三年に地籍調査が行われ、昭和五四年頃各土地に右の新しい地番が付されたこと、以上の事実が認められる。前記認定事実中の「登記番号」、「仮地番」及び「地番」は、このような意味を有するものである。

2  <証拠>によれば、被告松本は、昭和三九年一二月三日、契約書上「東京都八丈島八丈町大字大賀郷字安蔵山地内所在、明治グリーンハイツ第一次分譲地整理番号第五五号、山林一反八歩(三〇八坪)」と表示された土地を明治不動産株式会社から代金二〇〇万二〇〇〇円で買受け、昭和四〇年三月二〇日、登記簿上「東京都八丈島八丈町大賀郷七五九一番一(登記番号六七〇八)、山林一〇一八平方メートル」と表示された土地(但し、右の地番は後に付されたものである。)について所有権移転登記をしたこと、被告松本は昭和四〇年三月に現地で買受けた土地の引渡しを受けたが、その際、グリーンハイツ分譲地縮少図という図面を示され、被告松本の買受けた土地は右図面に五五番と表示された土地である旨説明され、また、その土地にほぼ第一係争部分を含む別紙第三図面の一、二の①ないし④の場所に位置する旨指示されたこと、以上の事実が認められる。

3  <証拠>によれば、被告高橋らの被相続人亡高橋茂は、昭和三九年一一月一九日、契約書上「東京都八丈島八丈町大字大賀郷字安蔵山地所在、地目山林二八二坪(グリーンハイツ五九号)実測」と表示された土地を明治不動産株式会社から代金一二六万九〇〇〇円で買受け、昭和四〇年一月二五日、登記簿上「東京都八丈島八丈町大字大賀郷字しき山、山林九三二平方メートル(登記番号六五九八号)」と表示された土地について所有権移転登記をしたこと、亡高橋茂及び被告高橋久夫は、右のグリーンハイツ五九号の土地を買受けた際、あるいはその後、明治不動産株式会社及びその業務を引継いだ太平洋総合開発株式会社の社員から、右土地はほぼ第二係争部分の場所に位置する旨の説明を受けたこと、以上の事実が認められる。

なお、<証拠>によれば、右の登記番号六五九八号の土地について、八二七二番二という地番が付されたものと推認される。

4  以上認定したところによれば、原告は第一、第二土地を、前者は八二七二番一の土地であり、後者は七五九一番二の土地であるとして買受けているが、被告松本も第一土地の一部である第一係争部分の付近を七五九一番一の土地であるとして買受けており、また、亡高橋茂は第二土地の一部である第二係争部分の付近を八二七二番の土地であるとして買受けているものである。

二そうすると、第一、第二係争部分が原告の所有であるか、それとも被告らの所有であるかを判断するためには、第一係争部分が八二七二番一の土地に含まれるのか、それともこれが七五九一番一の土地の一部であるか、また、第二係争部分が七五九一番二の土地に含まれるのか、それとも八二七二番二の土地であるかを検討する必要がある。

ところで、前記認定のとおり、八丈島には土地台帳附属地図(いわゆる公図)が存在しないから、これによつて各土地の所在位置を認定することは不可能であつて、そのほかの事実に基づいてこれを判断するほかはない。

1  <証拠>によれば、八二七二番一及び七五九一番二の各土地についての所有権移転登記の推移は原告主張のとおりであると認められる。

また、七五九一番一の土地についての所有権移転登記の推移が原告主張のとおりであることは原告と被告松本との間で争いがなく、八二七二番二の土地についての所有権移転登記の推移が原告主張のとおりであることは原告と被告高橋らとの間で争いがない。

2  <証拠>によれば、栄福商事株式会社は、昭和四五年一月、第一土地を含む約一六〇〇坪の土地及び第二土地約二〇〇〇坪を菊池愛邦から代金七五〇万円で買受けたこと、菊池愛邦はその直前に右土地を高橋ゆり子及び榎田周子から買受けたものであつて、所有権移転登記は右両名から直接栄福商事株式会社にされたこと、栄福商事株式会社は、買受けた後に、高橋ゆり子から、同会社が買受けた土地はもと高橋ゆり子が所有していた土地に間違いない旨の証明書の交付を受けたこと、栄福商事株式会社は、第一土地の道路との境界の付近に、同会社名の「夕日ケ丘第六分譲地」という看板を掲げたこと、その後菊池愛邦からこの土地を買戻したいとの要望があつたので、栄福商事株式会社は昭和四六年六月二四日、右土地を同人に代金一一五〇万円で売却したこと、以上の事実が認められる。

3  <証拠>によれば、同証人が原告の嘱託として第一、第二土地の隣接地所有者等から事情聴取をするなどの調査をした結果では、第一、第二土地の付近はもと菊池きくみ、次いで高橋ゆり子らが所有していた土地であつて、この付近は「ゆり子山」と呼ばれていたものと判断されたこと、すなわち、第一土地に隣接する土地の元所有者菊池和利は第一、第二土地は「ゆり子山」の一部であると話しており、第一土地の隣接土地の所有者である菊池永守や昭和四五年頃まで「ゆり子山」全体を管理し、小作していた菊池秀利の息子菊池和利(前記菊池和利とは別人である。)も同じように述べていたことが認められる。

そして、<証拠>によれば、菊池秀利の息子の菊池和利は、東京地方裁判所昭和五八年(ワ)第一一八九三号事件の証人として、菊池秀利は第一、第二土地を含む「きくみ山」と呼ばれる土地を菊池きくみから借りていたことがあり、昭和四五年頃にこの土地を高橋ゆり子に返還した旨証言していることが認められ、右の調査結果を裏付けている。

4  <証拠>によれば、同証人は土地家屋調査士であるが、高橋ゆり子とその夫の依頼によつて昭和四四年一〇月二〇日に第一土地を含む土地の測量をしたこと、その際高橋ゆり子は右土地は同人が所有している旨述べていたことが認められる。

5  <証拠>によれば、菊池英夫は昭和四六年四月頃第二土地を栄福商事株式会社から買受けたが、対税上の配慮から菊池英夫の経営する丸英建設株式会社の従業員である菊池重人の名義で買受け、所有権移転登記も同人名義としたこと、その後菊池英夫は第二土地を原告に売却したが、リベートを稼ぐ目的で鉄工産業株式会社がいつたん買受け、同会社が原告に売却するという形をとつたことが認められる。

6  <証拠>によれば、七五九一番一の土地の前登記名義人である奥山正直は第一土地を所有していたことはなく、同人が菊池愛邦に売却した土地は第一土地の東方約三〇〇メートルに位置することが認められる。

そして<証拠>によれば、七五九一番一の土地を含め、昭和四〇年三月二〇日に登記番号一九二六号の土地(もと奥山正直の所有名義で、昭和三九年一一月二八日に菊池愛邦に、更に同日明治不動産株式会社にそれぞれ所有権移転登記がされている。昭和四〇年三月二〇日当時は右会社の所有名義となつている。)から分筆された登記番号六七〇一号から六七〇八号の土地(六七〇八号の土地が七五九一番一の土地である。)の位置を調査してみると、六七〇五号及び六七〇七号の各土地をそれぞれ買受けた者が自己が買受けた土地の場所であるとして主張している位置は、いずれも第一土地から相当離れた場所であること、奥山正直は和田精夫に対しても自分が明治不動産株式会社に売却した土地は第一土地の場所ではないと述べていることが認められる。

また、<証拠>によれば、八二七二番二の土地を含め昭和四〇年一月二五日に登記番号三三七〇号の土地(もと佐々木智惠二の所有名義で、昭和三九年一二月二八日に菊池愛邦に、昭和四〇年一月二五日に明治不動産株式会社にそれぞれ所有権移転登記がされている。)から分筆された登記番号六五八八号から六六〇三号の土地(登記番号六五九八号の土地が地番八二七二番二の土地である。)の位置を調査してみると、六五八九号、六五九〇号、六五九二号、六五九四号、六六〇〇号及び六六〇一号をそれぞれ買受けた者は、自己の所有する土地の場所についていずれも第二土地から相当離れた位置に所在すると主張しており、これらの土地は第二土地を除いて大部分が隣接していること、佐々木智惠二の相続人は和田精夫に対して、佐々木智惠二が所有していた土地の位置は確言できないが、第二土地からは相当離れた場所に位置していたものと思われると述べていることが認められる。

なお、前記証人菊池武輝も、第一、第二土地の付近はもと菊池きくみの所有にかかるものであると証言している。

7  <証拠>によれば、以下の事実が認められる。

八丈島には土地台帳法の適用がなく、土地台帳附属地図が存在しないために、ある土地が登記番号(昭和五三年一月一日以前は地番が設定されていなかつた。)何番の土地であるかということについて確実な証明資料がなく、別の土地の登記簿をある土地の登記簿であるとすることも不可能ではなかつた。そして、土地の分合筆、地目変更等の土地表示変更の登記については、昭和二五年法律第二二七号による改正前の不動産登記法八〇条の規定により土地台帳謄本の添付が必要とされていたが、八丈島においてはこれに代わるものとして八丈町長の発給する土地異動証明書をもつて土地表示変更の登記をしていた。ところが、八丈町において右土地異動証明書を発給する際に十分な実質的な調査が行われなかつたために、不正な登記手続が行われることを看過する結果となつた。

この不正な登記手続を行つたのは明治不動産株式会社であつて、同会社が取扱つた土地について多くの問題が生じている。八丈町では昭和四四年から国土調査法に基づく地籍調査を実施しており、土地の所有者とされている者に境界線の伐採及び標示杭の設置をするよう通知しているが、買主が明治不動産株式会社から買受けた土地について、所有者が売却の事実を否定し、買主が買受けた土地と全く別の場所の登記簿に所有権移転登記がされているという事例が多数発生している。このような事例は明治不動産株式会社が最も大量に分譲販売をした大賀郷地区の第一、第二土地の所在する地域に最も多く、そのため大賀郷地区のこの部分についての地籍調査は最終の昭和五三年に実施された。

明治不動産株式会社が分譲した土地で、紛争が生じている土地の所有者は、同会社への売却を承諾し、したがつて同会社による所有地の測量、造成、分割等も承認していたが、代金の支払がないため同会社に所有権は移転しておらず、所有権移転登記もされていないものである。

明治不動産株式会社は昭和四〇年七月に倒産している。

8  <証拠>によれば、以下の事実が認められる。

八丈町は、昭和四四年から国土調査法に基づく地籍調査を各地区ごとに順次実施しているが、その際、当該区域内の土地の登記簿上の所有者に対し、境界線の伐採及び表示杭の設置をすることを通知し、複数の者が所有権を主張している土地については、地籍図を作成する準備のための図面に複数の登記番号、地番及び所有権を主張している者の名前を記入し、更に「筆界未定」と表示している。

地籍調査の結果地籍図が作成されると、一般の閲覧に供し、調査上の誤り等があると認める者はその旨を申し出て、修正が行われる。第一、第二土地を含む地域の地籍調査は昭和五三年に行われたが、右のような手続を経た上で、昭和五三年度地籍調査事業の成果図、成果簿の国土庁長官による認証は昭和六一年一月三〇日に行われた。

右の地籍調査に際し、第一土地については原告と被告松本がいずれも自己の所有地である旨申し出たので、第一土地には筆界未定地であるとされ、地籍図にも七五九一番一と八二七二番一の両地番が記載されている。

第二土地については原告が自己の所有地である旨申し出たほか、そのうち第二係争部分については被告高橋らが、その南側に隣接する部分については大久保林がそれぞれ自己の所有である旨申し出たので、これらの部分は筆界未定地とされた。しかし、その後大久保林はその主張を撤回し、自分が買受けた土地は第二土地とは別の場所に位置することを認めるに至つている。そのため現在地籍図の第二土地の部分には大久保林が買受けたという土地の地番(八二七二番三)の記載はなく、七五九一番二及び八二七二番二という地番が記載されている。

9  以上摘示した証拠及び認定した事実によれば、地籍調査に際して第一土地ないし第一係争部分については原告及び被告松本だけが、第二土地ないし第二係争部分については原告及び被告高橋らだけが所有権を主張しているのであるから、そのいずれかが所有権者であると推認されるところ、第一土地は菊池きくみがかつて所有し、高橋ゆり子及び榎田周子、栄福商事株式会社、湯浅節夫、原告と順次に譲渡された八二七二番一の土地であつて、被告松本が登記名義人となつているもと奥山正直所有の七五九一番一の土地は第一土地の位置ではなく、全く別の場所に所在すること、また、第二土地もかつて菊池きくみが所有し、高橋ゆり子及び榎田周子、栄福商事株式会社、菊池重人、鉄工産業株式会社、原告へと順次譲渡された七五九一番二の土地であつて、高橋茂が登記名義人となつているもと佐々木智惠二所有の八二七二番二の土地は第二土地の位置にはなく、全く別の場所に位置することが明らかである。

したがつて、仮に被告松本が第一係争部分を、被告高橋らが第二係争部分を、原告とともに二重に譲受けているとしても、被告らの所有権移転登記はこれとは全く別個の土地についてされているのであるから、第一、第二土地について所有権移転登記をしている原告には対抗できない筋合いである。第一係争部分及び第二係争部分は原告の所有に属するものというほかはない。

三そこで被告らの取得時効の抗弁について判断する。

1  <証拠>によれば、以下の事実が認められる。

被告松本は、昭和四〇年三月、明治不動産株式会社から現地で第一係争部分付近の引渡しを受けたが、第一係争部分の付近は整地された平原になつており、道路との境界の部分にはブロックが置かれていた。引渡しを受けた土地の周囲四か所には木の杭が打つてあつた。

その後、昭和四七年一月に被告高橋久夫から第一係争部分の付近がブルドーザーによつて地均しされているとの連絡があつたので、隣接地を買受けた山田康男とともに同月一七日に現地に赴いたところ、被告高橋久夫から連絡のあつたとおりの状況であつて、境界の杭はなく、境界は不明となつていた。ブルドーザーで地均しをしたと聞いた丸英建設株式会社の社長菊池英夫に事情を聞こうとしたが会うことができず、それ以上の調査はできなかつた。そこで、被告松本と山田康男は昭和四七年一一月二一日、八丈島警察署長に、境界毀損罪で被告訴人を氏名不詳として告訴をした。告訴のその後の経過は聞いていない。

昭和五三年八月に八丈町長から地籍調査のため境界線を伐採し標示杭を設置するようにとの連絡があつたので、同年九月に現地に出かけ、先に引渡しを受けたと思われる場所の周囲に所定の杭五本を打つた。以前の杭は全く残存していなかつた。

当裁判所の検証が行われた昭和六〇年九月三〇日の時点においては、第一土地は一面、樹木、草、篠でおおわれており、ほぼ中央部分に東西に走る幅員四メートルの私道があり、その両側にはブロックが置かれ、フェニックスの木が並んで植えられている。周囲の一部には有刺鉄線が張りめぐらされており、有刺鉄線を張つた木の杭のうち八本には原告名あるいは原告名と「立入を禁ず」と表示した板が掲出されている。周囲などには多数の白色、黄色あるいは赤色のプラスチック杭が埋設されているが、第一係争部分を含む被告松本が所有権を主張する土地部分の周囲四か所には「松本満寿雄」と表示したプラスチック杭が埋設されている。

2  <証拠>によれば、以下の事実が認められる。

高橋茂は現地を確認した上で第二係争部分の付近を明治不動産株式会社から買受けた。

被告高橋久夫は、新聞で明治不動産株式会社の倒産を知り、父高橋茂の指示で昭和四一年四、五月頃、八丈島へ出かけ、明治不動産株式会社の残務整理をしているという太平洋総合開発株式会社の職員に現地を案内してもらつて、第二係争部分について伐採をして境界の杭を確認し、立札を立てた。道路との境界にはブロックが設置されていた。

次いで昭和四一年八月にも被告高橋久夫は八丈島に出かけ、第二係争部分の近くにあつた古いバスを買受け、これを第二係争部分に移し、バスの横の部分に高橋茂の住所、氏名及び電話番号を記載した。また、境界線の一部に杭を打ち、鉄条網を張つた。

数年後、第二係争部分の付近が地均しされ、バス、鉄条網等もすべて撤去されていることを発見し、この工事をした丸英建設株式会社などに事情を聞くなどの調査をしたがはつきりしたことは分からず、そのままになつた。境界石をその後二回位埋設したが、いずれもなくなつてしまつた。

被告高橋久夫は、昭和四五年二月に結婚した妻の実家が八丈島にあるので、毎年一、二回は八丈島に出かけて第二係争部分を確認、見分し、あるいは妻の実家から何か変わつたことがあれば連絡してもらうことにしていた。但し、被告高橋久夫は昭和五四年以降は現地に行つていない。

昭和五三年八月に八丈町長から地籍調査のための境界線の伐採及び標示杭の設置をするようにとの連絡があつたので、被告高橋久夫が昭和五四年三、四月頃現地へ出向き、第二係争部分の周囲に杭を打込んだ。

昭和六〇年九月三〇日の当裁判所の検証時点においては、第二土地は篠が密生しており、容易に立入りができないような状態になつている。第二係争部分の付近には白色、黄色あるいは赤色のプラスチック杭が多数埋設されているが、「高橋茂」と表示されたプラスチック杭も存在する。

3 ところで、土地の取得時効の要件である占有とは、当該土地を排他的、独占的に支配、管理していることを要するが、右に認定した被告らの土地の管理の状態は、当初の一時期だけはともかく、その後はとうてい排他的、独占的な支配、管理とはいい難い。被告松本は、当初ある程度の明認方法を施したほかは、数回現地に出かけたというにすぎないし、高橋茂ないし被告高橋らも、ある期間バスを置いて境界線の一部に鉄条網を張り(丸英建設株式会社による工事は、被告松本に関して認定したところによれば、昭和四七年一月以前であることは明らかである。したがつて、右のバスや鉄条網は昭和四七年一月以前に失われたことになる。)、あるいは立札を立てて境界石を埋設するなどの行為をしたほかは、時々現地を訪れて様子を見たというにすぎない。

取得時効の要件である占有の態様は、本件のような原野と宅地、農地などとではおのずから異なることは当然であるが、それにしても、当初の一時期はともかくとして、右の程度の管理をもつてその後も占有があつたものとすることはできない。

4 したがつて、その余の要件について判断するまでもなく、被告らの時効取得の主張は理由がない。

四以上述べたところによれば、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官矢崎秀一)

別紙第一物件目録

東京都八丈島八丈町大賀郷八弍七弍番壱(登記番号壱〇四八)

一、山林 公簿上 弍六四四平方メートル

実 測 弍四参八・壱七平方メートル

(別紙第一図面及び第二図面一、二の各赤枠の内部)

のうち、別紙第三図面の一、二の各青枠の内部(被告松本満寿雄が東京都八丈島八丈町大賀郷七五九壱番壱(登記番号六七〇八)公簿上の地積壱〇壱八平方メートルの位置であると主張する部分)実測九弍参・壱参平方メートル。

第二物件目録

東京都八丈島八丈町大賀郷七五九壱番弍(登記番号壱〇四七)

一、山林 公簿上 六六八七平方メートル

実 測 八〇八壱・四六平方メートル

(別紙第一図面及び第四図面の一乃至三の各緑枠の内部)

のうち、別紙第五図面の一乃至三の各紫枠の内部(被告松本満寿雄を除くその余の被告らが東京都八丈島八丈町大賀郷八弍七弍番弍(登記番号六五九八)公簿上の地積九参弍平方メートルの位置であると主張する部分)実測八九壱・参五平方メートル。

別紙第一図面〜第五図面<省略>

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